「英語なんていらない。他のことにエネルギーを使うべき」という議論をよく見かけます。
「英語の勉強が必要なのか?」と聞かれれば、多くの人にとって必要ないです。どう考えても英語を使う機会は少ないので。英語を使う仕事はもっと少ない。
それでも、英語の勉強は大切だと思う理由があります。
理科や社会はどうなのか
英語を勉強する意義は、「必要かどうか」では理解できません。
理科や社会科目について考えてみるとわかりやすいので、まずはそこから考えてみましょう。
理科や社会で勉強した内容を知らなくても、日本で生きていけます。
実際、大人になると忘れてしまっています。それらの知識を仕事で使うことも、ほとんどありません。
だからといって、「理科や社会はいらない」とはなりません。
理科は、世の中の成り立ちを科学的に知ることです。 社会(科目)は、社会の成り立ちを制度や歴史から知ることです。
学問として大切だというのは、多くの人が同意するでしょう。
日常生活を送るだけなら、「読み書き計算(そろばん)」が何より欠かせませんが、学問というのは「世界をどのように認識するか」に関わっているのです。
日本に暮らす人々がどのような世界認識をもっているかによって、日本社会の未来は確実に影響を受けます。
義務教育課程の学問のない人々が多数になれば、占いや権力が社会を支配するようになるかも知れません。古代のように。
英語も同様に、「日常生活の必要性」だけでは、その重要性が理解できないと思います。
では、英語を勉強することの意義は何でしょうか。
外部(他者)への意欲
外国語というのは、外国人とのコミュニケーション手段です。
すなわち、他者にたいして興味を持つこと、心を開くことが「英語」だと思います。
日本は島国という環境ですから、外部からの影響が限られています。そのままでは社会の発展に限界があります。
そこで、古代より中国のような外部と付き合って、多くを学んできたのです。それができない社会だったら、日本は今のような発展はあり得なかったと思います。
昔の人たちは、一生懸命になって語学を学んで、苦労して外国人たちと交流して、日本を発展させてきたのです。
つまり、外国語を学ぶ意義というのは、まったく外部の他者とコミュニケーションをとる意欲を持つことです。
時代によって、外国語の主流が中国語だったり、フランス語ドイツ語だったり、英語だったりしますが、それは問題ではありません。
文化や宗教の違う他者と交流しようとする意欲が、とりわけ日本の環境では欠かせないのです。意欲しないと、引きこもれる環境なので。
言語に自覚的になること
もう1つ、外国語を学ぶ意義について欠かせないものがあります。
言語というのは、人間の思考そのものを規定しています。使っている言語によって、どのように考えるか、どのように認識しているかを左右することがあります。
外国語を学ぶことで、自分たちの言語を相対化できます。
たとえば、日本語では曖昧な表現が可能でも、英語ではそれができないと知ったとき、はじめて「日本語はこの点を曖昧にしているのか」と気づくのです。
もちろん、英語圏の人々が日本語を学べば、やはり英語の限界の多くを知ることになるでしょう。
このように普段使っている言葉に自覚的になれるのは、外国語を学んだときだけだと思います。
母国語は無意識的に出てきます。つまり、ある方向をもった考え方が自動的に出てきてしまうのです。
外国語を学ぶことで、自動的に出てくる考え方に気づいて、その前提を疑うことができるようになるのです。
「外国語を学ぶことは哲学を学ぶこと」だとされる理由はここにあります。
この点に興味のある方は、次の本をお勧めします。
日英それぞれの言語に特有な「世界観」を理解できます。
英語より優先順位の高いこと
ということで、英語(外国語)を勉強するのは、必要かどうかの次元を超えて大切なのです。
英語を学んだばかりの若い人々には特に、上記2つの点を考えてもらいたいと思っています。
「日常で英語を使う機会がない」「英語を仕事で使わない」といった理由で、英語を勉強する意義を見失わないでください。
ただし、優先順位はあります。
「読み書きそろばん」のように、日常生活に欠かせないスキルを英語より優先するのは当然です。
主要科目の算数や国語が、理科や社会より重視されるのはやむを得ないことです。
また、職業にダイレクトに関わるスキルを学ぶ時期になったとき、それらを差し置いて、当面は必要性のない英語ばかり勉強するのもお勧めはしません。
自立するためにお金を稼ぐ。そのために、市場性のある知識や技術を身につける。
そういう時期になったら最優先にすべきことです。
そんなときでも、英語は楽しい趣味になりますし、グローバル化が進んでいる以上、キャリアアップに役立つかも知れません。趣味として続けてください。