コミュニケーションの責任は誰が持つべきでしょうか。
たとえば、話し手の意図が聞き手に伝わらないとき。 話し手と聞き手のどちらに問題があるのでしょうか。
日本と欧米では逆の発想をします。
聞き手責任の日本
日本社会は、「聞き手責任」の傾向が強いと言われています。
聞き手責任というのは、コミュニケーションが成立するかどうかは聞き手に責任があるということです。
話し手が何かを伝える。その意図を正確に受け取るのは、聞き手の責任です。
相手の言っていることがわからない場合、「何を意味不明なことを言ってやがるんだ?」と思う人はほとんどいません。聞き手は「私にはわからない。申し訳ない」と感じるケースが多いのです。
プレゼン、会議、授業、セミナーなどでも、講演者に質問する人はほとんどいません。 なぜなら、質問するのは聞き手の理解力がないことを晒すことであり、恥ずかしいことだからです。
聞き手は「一を聞いて十を知る」ごとく、言葉の裏から表まで推測し、話し手を理解すべきだとされます。
話し手は、「こんなことわかるでしょ?」と言わんばかりの態度をとる人が目に付きます。自分の説明不足を疑う人はあまり見かけません。聞き手に責任があると無意識で信じているからです。
コミュニケーションが成立しないとき、恥ずかしそうに顔を赤らめるのはいつも聞き手です。
話し手責任の欧米
日本とは逆に、欧米は「話し手責任」の文化だとされています。
相手に正しく意図を伝えるのは、すべて話し手の責任なのです。
聞き手が「わからない」といえば、それは聞き手が未熟だからではなく、話し手が未熟だからなのです。相手に伝わるように話さないから、「わからない」結果になったのです。
素人を相手に専門用語を使ったりすれば、話し手として「失格」の烙印を押されます。話し手には、素人にもわかるように工夫する義務があるからです。
当然、授業でも会議でもセミナーでもプレゼンでも、質問はバンバンでます。 ちょっとでもわからない部分があると、聴衆は攻めるように質問してきます。
わからない部分があるというのは、講演者に問題があるからです。 聞き手に問題があるわけではない。話し手が未熟だから、わからない部分が発生する。 みんな無意識にそう思っているから、質問することは恥ずかしいことではないのです。
コミュニケーションが成立しないとき、恥ずかしそうに顔を赤らめるのはいつも話し手です。
英語を使うなら話し手責任を肝に銘じる
このような文化の違いは、英会話において注意すべき部分です。
聞き手責任で育った日本人というのは、抽象的な話をすることが多くなります。それが欧米人との会話を困難にします。
「最近、会社の雰囲気悪いよね」
「そうそう困ったもんだね」
日本ではこういう会話が当たり前のようにされています。
これは英語では通用しない会話です。「雰囲気悪い」とは具体的に何を指しているのか。その部分の発言がない。
なぜ、このような抽象的な会話が多いかといえば、聞き手は絶対に同意するという暗黙のルールがあるからでしょう。
日本語では、具体的に、明確に、わかりやすく話す必要などないのです。 どうせ、聞き手はわかってくれるから。(わかっていなくても、わかったフリをしてくれるから)
それが聞き手責任の文化におけるコミュニケーションです。
しかし、このような会話は欧米文化では通用しません。 片っ端から質問されるか、相手にされなくなります。
普段から、どこまでも具体的に、どこまでも明確に話す癖をつけておいた方がいいです。
「最近、会社の雰囲気悪いよね」
↓
「最近、AさんもBさんも休憩時間に話さなくなったね。そういえばCさんも仕事中に相談に来ることがなくなった。Eさんも会議で冗談を言わなくなった。スタッフ同士で話すことが少なくなって、職場が暗くなったよね」
ここまで具体的に話す必要があります。
そうすれば、聞き手は、以下のように会話を返してくるでしょう。
「たしかにスタッフ同士で話すことが急に少なくなった。先週、私語が多いことに部長が激怒してからだね。実をいえば、僕は静かで集中できる環境だから、居心地が良くなったと思っていたんだ。でも、たしかに言われてみれば、職場の雰囲気は暗くなったとも言える」
このように会話をみて、どう思いますか? やたら言葉が多い、と思いませんでしたか?
そう。欧米の会話は、徹底して具体的なのです。 具体的だから、いつも言葉が多い。
そういう文化なのです。それは話し手責任だからこそです。
「ちょっと感じ悪いよね」
「だよね」
みたいな会話は、あまり見かけません。
実は、こんなことは、少し気をつけるだけで対応できます。
「責任はすべて話し手にある」という発想の転換ができていれば、あとは具体的に話すように心がけるだけで充分だったりします。
相手がわかっていない感じだったら、もっと具体的に説明する。
英会話において、すべて話し手に責任があるということを忘れないでください。